一人ひとりが花開く“よこすか”へ
日本共産党横須賀市議会議員

大村洋子

おおむら ようこ

活動日誌

「オール沖縄」の「一点共闘」に学ぶ

2015年1月15日
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沖縄一点共闘報告学習会

「オール沖縄」のたたかいを学びたくて、小泉親司元参議院議員の報告講演会に参加した。沖縄のたたかいを学ぶということは、それをどう横須賀に応用するのかということだ。神奈川に住み、横須賀に住んでいる者が沖縄のたたかいに学ぶとは、煎じ詰めるとそういうことだ。沖縄のたたかいに学ぶと言っても、そうそう何もかも真似できるというものでもなく、そもそも沖縄と本土では戦争観がまるで違う、ここから見なければならないと思う。だから沖縄は反基地闘争における「あこがれ」であると同時に本土としては「加害者」であるという立場も忘れてはならない、私はそう思ってる。私は1987年に初めて沖縄に行った。その時は観光ではなくて、たたかいで行ったわけだけれど、その時、私は沖縄の人々に詰問されるんじゃないかと、本気でそう思ったくらいだ。それくらい私の中では、沖縄の歴史で日本は何をやったか、米軍よりもひどいことをやったんだ・・・そのことが頭に胸に染みついていた。だから、トラウマみたいに沖縄の土を踏むことが怖くて仕方なかった。でも、実際は違った。沖縄の人々は寛容でありやさしかった。

私自身の回想はさておき、親司さんのお話は大変面白く、深めたい内容が随所にちりばめられていた。印象に残ったことを箇条書きで記しておこう。

辺野古のたたかいは16名からはじまった。その時、日本共産党の赤嶺衆議院議員は当時沖縄県委員会の委員長で関わっていた!

97年の「名護市民投票」は4択だったが「反対」が51%だった。そういう結果にも関わらず、その後2回の市長選挙では「辺野古容認派」が勝利。2010年になってはじめて稲嶺市長が誕生した。その際にも今となっては信じられない思いだが、稲嶺さんは「辺野古にはいろいろな考え方がある」といって自分自身がはっきり反対ということを当初は主張していなかったという。選挙戦の過程で変化していったようだ。

「建白書」が大きな画期となった。「建白書」は政治目標であり、一点共闘の要となった。

稲嶺市長は国からの補助金のない中で全小学校のエアコン設置、トイレの水洗化を行い子どもたちから「トイレのおじさん」と言われている。

 

 

つづく・・・・