一人ひとりが花開く“よこすか”へ
日本共産党横須賀市議会議員

大村洋子

おおむら ようこ

まち・ひと・しごと創生総合戦略検討特別委員会

まち・ひと・しごと地方創生 これで、横須賀はどう変わる?-3

2015年8月6日
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1,2からご覧ください。

2の中で私は「国家の繁栄(維持、継続)と個人の幸福感は必ずしもイコールではない」と書いた。国家というのは、特に日本のような強烈な家父長制を経験した国にとって、(そして、それは残念ながら、未だに根付いている。)結婚観にせよ、家族観にせよ「無秩序」なものを嫌う傾向が強いと思う。

例えば、最近の動向では同性カップルを婚姻に準じたパートナーとみる見方が出てきた。渋谷区がそういう証明書を発行することとなった。性愛の対象が異性であるという考え方自体が狭いということだ。パートナーの間に子どもの存在というのも当たり前ではない。生物学的に同性カップルの間には子どもは生まれないからだ。しかし、子どもを育てたい、子どもの成長を見るのを望むという場合には社会的に手続きをとって、子どもを育てることもできると思う。

さらに、日本の場合、極言すれば、生物学的な親子関係が第一義ではない。あくまでも戸籍上の夫婦、親子が何よりも重んじられるのである。だからこそ、結婚の実績のあるひとり親には控除が認められるが、結婚の実績のないひとり親には控除が認められない。自治体によっては個別に認めるところが年々増えているが、国は今もって認めない。夫婦別姓が論じられて久しいが、未だに法制化されないのは、頑なにそういうことを認めない潮流の存在があるということだ。しかもそれはかなり根強い。「女性が輝く社会」などといかにも女性を応援するポーズをとるが、まったく実態が伴っていない。著しい時代錯誤が蔓延る社会で進められる結婚、子育て充実の政策など、本当に信じていいのだろうか。

また、子ども云々の前に、そもそも結婚などしたくないという人もいると思う。したくないという人も、できないという人もいるだろう。「まち・ひと・しごと・・・」の資料の中には「出会いがない」というのもあった。あるいは、稀有なかたちかもしれないが、研究や仕事など活動に没頭するため、家族を持つことを選ばないという人もいるだろう。

フリードリッヒ・エンゲルスの書いた「家族・私有財産・国家の起源」という本がある。なぜ、人間は家族を持つのか、なぜ、一夫一婦制なのかなんてことが学術的に書いてある。かなり前に読んだので、もうほとんど忘れてしまった。タイトルの通り、確か、持っている物を渡すために、つまり財産相続のために確実に我が子であることをはっきりさせる必要があり、その秩序が国家を形作っていくってなことだったと思う。

「地方創生」っていうのは、人口減少時代の国家をどう持続させていくのか、人口が集中している首都圏からどうやって地方に分散させていくかってことが、メインテーマだと思う。少なくとも建前的には。

そこで、手練手管、子育て支援メニューを充実したまえと地方に強要してくる。これは条件や環境を整えよという分には、いいことだと思う。でも、気を付けなければならないのは、結婚しない人は☓、子どもを産み育てない夫婦は☓というような風潮には要注意ということだ。国家や行政が個々の人間の生き方にまで介入してくるような空気は断ち切らなければならない。

一人ひとりの国民・市民は将棋の駒ではない。本当にひとり一人が自分らしさを開花させて生きることが出来る社会が大切だ。そんな社会を実現しなくてはならない。

次は若い人がそもそも、結婚できる経済的状態かということについて考えてみたい。・・・つづく。

2015年ユリツアー長野県飯山・野沢温泉 (16)

長野県の飯山にユリを観に行きました。冬は平気で2,3mの積雪のあるところ。